海外に住む人なら理解してもらえるだろう、手に入る日本語の本はとにかく何でも読んでみる、という経験。自分の好みとは関係なく読み散らした本について書き散らす備忘録的ブログ。パリ在住なのでフランス語の本も多数。
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George Perec 「Tentative d'épuisement d'un lieu parisien」

フランス人小説家ジョルジュ ペレックが書いた50ページ足らずの文章。
読む前と読み始めたときは、シュールレアリストのエクリチュール オートマティックのように書かれたものかな、と思っていたけど、読み進むにつれて、ジョルジュ ペレックがこのノートに書くことをかなり選んでるなっていうのがわかった。

1974年10月後半、ジョルジュ ペレックがパリのサンシュルピス広場に面したカフェに、3日間数時間ずつ座って、見えたもの起こったことを散文調に書いた実験的文章がこの作品。
これ、私もやってみようかな。面白そう。と思えるような自由さと、簡単に書けるように見える文章だけど、そこはやっぱりいくら短いとは言え、50ページを飽きさせずに読ませることができるのはジョルジュ ペレックだからこそだと読み終わったあとに思った。そして、簡単で自由に見えて、実はその真逆なんじゃないか、かなりがちがちに最初からか書きながらかはわからないけれど、書き残すことをがちがちに決めてるんではないか、もしくは書き残すことを削りに削るんでないとこの文章にはならないな、と思った。

カフェの前を通る市バスのナンバー、ベンチに座る老人、道を渡る若い女性、飛び立つハト、久しぶりに偶然再会した友人等等、それらの風景や日常に感傷的になることもなく、何かを見いだすわけでもなく、詳しい描写や物語があるわけでもないのに、読んでいて何か楽しい。そんな本だった。

| 21:21 | フランス | comments(1) | trackbacks(0) |
Truman Capote/トルーマン カポーティ 「In Cold Blood/冷血」
評価:
Truman Capote
Gallimard
¥ 5,392
(2006-02-06)

評価:
トルーマン カポーティ
新潮社
¥ 940
(2006-06)

 おもしろかったーー!!トルーマン カポーティの冷血。フランス語で読んだのでタイトルはDe Sang Froidでした。

読者には最初から誰が犯人かわかっていて、まあいわばその犯人たちの逃亡劇というか、なんとも間の抜けたやる気のない穴だらけの逃亡ルートを追い、私達読者は「でも動機は何?」と不思議なのでどんどん読み進んでいってしまう本。

殺人から始まるお話ですが、ミステリーやら推理やらそういうものではなく、まさに社会派小説とでも言うのでしょうか。アメリカの半端ない格差社会、もがいてももがいても上がれない階級、何かを最初からあきらめているような、犯罪に対する現実味のなさ、などなど、実際に起こった殺人事件を元に1965年に発表されたこの小説から読み取れることは、現代の世の中と何も変わっていないな、と思い知らされます。そしてまた、日本はまだまだここまでじゃないかもしれないけど、アメリカは60年代からこうだったのか、、、とびびった。

とにかく小説とは思えないおもしろさ。是非読んでみてください。
| 15:40 | アメリカ | comments(0) | trackbacks(0) |
Emmanuel Carrere「D'autres vies que la mienne」
評価:
Emmanuel Carrere
Gallimard
¥ 898
(2010-10-19)

 4月にレバノンへ旅行に行ったときに読んだ本。エマニュレル カレール/Emmanuel Carrereは去年Prix Renaudotを穫ってから、読んでみたいな〜と思ってた作家。まあこの本で賞穫ったわけじゃないんですけどね。

この本は、一年くらい(だったかな)の短い期間に、家族の一員を亡くした人たちと偶然にも二度も、近そうで遠い関係にあった作家自身の手記。一つ目は、インドネシアで、作家、彼の子供、フィアンセ、フィアンセの子供の4人でバカンスを楽しんでいたときにスマトラ島沖地震が起こり、彼らは無事だったけれど、ビーチに近いバンガローに滞在していた知り合いの家族が4歳の娘を亡くし、波にさらわれて遠くの病院に安置されていた彼女の遺体を探し出し、幼い子供の死に対峙しながらもこれからどのように生きていくかを模索する家族の話。そして二つ目は、病気が再発し幼い子供3人と定職のない夫を残す不安を抱えながら死んでいくフィアンセの妹と、彼女の死後の家族の生き方の話。

作家はどちらの家族とも、それぞれの死のときには家族並みにそばにいながらも本当の意味では家族の一員ではない、という立場で、一体どのように対応していけばいいのか困惑する。スマトラ沖で亡くなった子供の祖父から「君は作家なんだったら、是非この出来事を書いてみないか」と言われながらも、長く放置してしまっていた作業をある時始める。

家族に取材を始めてから、作家は距離の取り方がわかってきたのだろうか。家族に不幸のあった人間に対して、部外者である私達が皆持つであろう、なんとも言えないいたたまれない気持ち、何かしてあげたいけど意味のないようにも思える自分の無力さ、何と声をかけていいのかもわからずただただたたずんでしまう、そんな状況がエマニュエル カレール自身の体験として、彼の美しい文章力と素晴らしい描写力で描かれていく。そしてこれでいいのかもしれない。そのただずんでしまうこと自体が正しい反応なのかもしれない、と思わせてくれる。カレールのフィアンセは目の前に困った人がいると、活動的にどんどん態度と行動で「助ける」という行為を自然にできる人間で、その対象としてどう距離をとればいいのかと戸惑いながらも側にいて話し相手になるカレール。その二人の態度もとてもいい軸になっていた。

彼の小説も読もーっと。
| 15:05 | フランス | comments(0) | trackbacks(0) |
歌野晶午「白い家の殺人」
 鮎川哲也の二冊と共に貸してもらった小説。

「いかにも!」って感じのタイトルの推理小説。何年に書かれたんだろう?と調べたら1989年だった。80年代後半の推理小説の流行がわからないんだけど、この小説なんかは少し時代錯誤な感じは既にしなかったのかな。とにかく2012年に読んだ私にはもう笑っちゃうくらいの時代錯誤の推理小説というか、まるで昼ドラを見てるような現実的でない華麗なる家族構成とか人物描写と、既に見た事読んだ事があるようなありがちな内容によるデジャブ感に少し辟易しながらも、それが逆にドラマで人気俳優が演じてるのを妄想して読んだので心で笑いながら楽しく読んだ。

館内で人がどんどん死んでいってるのに皆がその建物にとどまって何日も過ごすのとか、結構みんな平気そうなところとか、探偵役の主人公を呼ぶ友人役の大学生の言動がこんな非常時なのにあまりにもちゃらんぽらんで、読んでるこちらが恥ずかしくなったりと、元来の推理小説とは異なる別の面白みがある。

そして最後の謎解きはうーん、納得!とはならず、「それやったらなんでもアリやったやん!」と読者の推理どころではない無理矢理感溢れる結末で、脱力。

| 16:06 | 日本 | comments(0) | trackbacks(0) |
鮎川哲也「死びとの座」
 「死者に笞打て」と共に貸してもらった鮎川哲也二冊目。

ここでちょっと偉そうなことを言わせてもらいますが、ワタクシ、最初のほうでもう既に謎は解けていました。犯人もわかっていました。詳細まではわからなかったけど、ああ、きっとこれはこういう方向性の話だろうなってわかってました。だからワクワクとかハラハラというよりは、着々と読んだ、というのが正しい感想。
それでもやっぱり最後の謎解きで「そういうどんでん返しか〜!」という従来の推理小説的驚きではなく、「どんだけじゃまくさいことすんねん!」というどちらかというとつっこみに近い驚きがあった。

小説というのは基本的に、最初から最後まである登場人物の視点から書かれたものか、登場人物ではないナレーター的書き方か、読者の視点となる登場人物の移り変わりがはっきりわかる書き方か、大きく分けて三つだと私は勝手に思っているんだけど、この本は読者の視点の置き方というかナレーションの置き方がばらばらしていて、それが不快ではないんだけれど、私はあまり慣れなくて戸惑う部分があった。

小説の副題には「鬼貫警部事件簿」となっているけど、鬼貫さんが活躍する場面はあんまりなくて、鬼貫さんがオラオラ出てくるまでに捜査をがんばる刑事さんたちは名前もつけてもらってなくて「若い刑事」とか「中年の刑事」とかいう書かれ方で、「なんやめっちゃかわいそうや、この扱い」とずっと思って読んだ。
| 15:13 | 日本 | comments(0) | trackbacks(0) |