海外に住む人なら理解してもらえるだろう、手に入る日本語の本はとにかく何でも読んでみる、という経験。自分の好みとは関係なく読み散らした本について書き散らす備忘録的ブログ。パリ在住なのでフランス語の本も多数。
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - | - |
George Perec 「Tentative d'épuisement d'un lieu parisien」

フランス人小説家ジョルジュ ペレックが書いた50ページ足らずの文章。
読む前と読み始めたときは、シュールレアリストのエクリチュール オートマティックのように書かれたものかな、と思っていたけど、読み進むにつれて、ジョルジュ ペレックがこのノートに書くことをかなり選んでるなっていうのがわかった。

1974年10月後半、ジョルジュ ペレックがパリのサンシュルピス広場に面したカフェに、3日間数時間ずつ座って、見えたもの起こったことを散文調に書いた実験的文章がこの作品。
これ、私もやってみようかな。面白そう。と思えるような自由さと、簡単に書けるように見える文章だけど、そこはやっぱりいくら短いとは言え、50ページを飽きさせずに読ませることができるのはジョルジュ ペレックだからこそだと読み終わったあとに思った。そして、簡単で自由に見えて、実はその真逆なんじゃないか、かなりがちがちに最初からか書きながらかはわからないけれど、書き残すことをがちがちに決めてるんではないか、もしくは書き残すことを削りに削るんでないとこの文章にはならないな、と思った。

カフェの前を通る市バスのナンバー、ベンチに座る老人、道を渡る若い女性、飛び立つハト、久しぶりに偶然再会した友人等等、それらの風景や日常に感傷的になることもなく、何かを見いだすわけでもなく、詳しい描写や物語があるわけでもないのに、読んでいて何か楽しい。そんな本だった。

| 21:21 | フランス | comments(1) | trackbacks(0) |
Emmanuel Carrere「D'autres vies que la mienne」
評価:
Emmanuel Carrere
Gallimard
¥ 898
(2010-10-19)

 4月にレバノンへ旅行に行ったときに読んだ本。エマニュレル カレール/Emmanuel Carrereは去年Prix Renaudotを穫ってから、読んでみたいな〜と思ってた作家。まあこの本で賞穫ったわけじゃないんですけどね。

この本は、一年くらい(だったかな)の短い期間に、家族の一員を亡くした人たちと偶然にも二度も、近そうで遠い関係にあった作家自身の手記。一つ目は、インドネシアで、作家、彼の子供、フィアンセ、フィアンセの子供の4人でバカンスを楽しんでいたときにスマトラ島沖地震が起こり、彼らは無事だったけれど、ビーチに近いバンガローに滞在していた知り合いの家族が4歳の娘を亡くし、波にさらわれて遠くの病院に安置されていた彼女の遺体を探し出し、幼い子供の死に対峙しながらもこれからどのように生きていくかを模索する家族の話。そして二つ目は、病気が再発し幼い子供3人と定職のない夫を残す不安を抱えながら死んでいくフィアンセの妹と、彼女の死後の家族の生き方の話。

作家はどちらの家族とも、それぞれの死のときには家族並みにそばにいながらも本当の意味では家族の一員ではない、という立場で、一体どのように対応していけばいいのか困惑する。スマトラ沖で亡くなった子供の祖父から「君は作家なんだったら、是非この出来事を書いてみないか」と言われながらも、長く放置してしまっていた作業をある時始める。

家族に取材を始めてから、作家は距離の取り方がわかってきたのだろうか。家族に不幸のあった人間に対して、部外者である私達が皆持つであろう、なんとも言えないいたたまれない気持ち、何かしてあげたいけど意味のないようにも思える自分の無力さ、何と声をかけていいのかもわからずただただたたずんでしまう、そんな状況がエマニュエル カレール自身の体験として、彼の美しい文章力と素晴らしい描写力で描かれていく。そしてこれでいいのかもしれない。そのただずんでしまうこと自体が正しい反応なのかもしれない、と思わせてくれる。カレールのフィアンセは目の前に困った人がいると、活動的にどんどん態度と行動で「助ける」という行為を自然にできる人間で、その対象としてどう距離をとればいいのかと戸惑いながらも側にいて話し相手になるカレール。その二人の態度もとてもいい軸になっていた。

彼の小説も読もーっと。
| 15:05 | フランス | comments(0) | trackbacks(0) |
Georges Simenon/ジョルジュ シムノン「le Chat/猫」
評価:
Georges Simenon
Presses de La Cite
---
(2007-06)

評価:
ジョルジュ・シムノン
東京創元社
¥ 693
(1985-01)

 またシムノン。これは推理小説でもミステリーでもないけど、なんだかこわい夫婦のお話。
猫好きな私は、もちろんこのタイトルに惹かれて読んだ。でも猫のことはキーワード的なものだけで、猫の話というわけではありません。

特におもしろかったかどうか、と問われるとそうでもなかったけど、なんか読み進んでしまう魅力がこの本にはあった。まだ数冊しか読んでいないけれど、シムノンの描く妻たちはいつもこわい。「fantômes du chapelier」でもこの本でもなんか空恐ろしい。私がいままで読んだシムノンは常に男性の視点から描かれているものだからかもしれないけど、「妻」というのがいつも得体の知れないもののように描かれている。メグレの奥さんは結構かわいらしい人という印象やけど、メグレ自身は、老夫婦特有の阿吽の呼吸でわかりあえてるけど、なんか本当は妻のこと読めてない気がする、というように思ってると感じたことがあった。

男の人にとって、専業主婦ってきっとものすごく得体の知れないつかみどころのない存在なんやろうなって思う。
| 13:50 | フランス | comments(0) | trackbacks(0) |
Amelie Nothomb/アメリー ノートン 「Attentat/愛執」
評価:
Amelie Nothomb
Livre de Poche
¥ 659
(2001-10-07)

評価:
アメリー ノトン
中央公論新社
---
(2005-12)

 アメリー ノートンの作品を読むのはこれが初めて。もう10年くらい前になるんだろうか、彼女の書いた「stupeur et tremblement/畏れ慄いて」を原作とした映画は見たことがある。彼女は日本生まれのベルギー人で、映画化されたこの作品では、彼女が大人になってから日本で会社員として働いたときの経験が語られていて、日本の企業という社会システムの枠組みを批判するものとして映画公開当時、そして今でもフランス人たちに「あの映画に描かれているようなことは本当にあるの?」と聞かれる。私はあると思うけどなあ。もちろん誇張されている部分はあると思うけど、うまく立ち回っていかないあの主人公のようなうるさい女はああいう目にあうこともあり得るような気がしてた。

さてさて、今回読んだこの本は、そのベストセラーの2年前に出版されたもの。
顔も世界一醜く、体も汚く、あだ名は「カジモド(「ノートルダムのせむし男」の主人公の名前)」な、ある男の話。その醜さゆえに周囲から避けられ、道を歩けば畏れおののかれ、母親にも気持ち悪がられる、という子供時代を歩んできた彼だから、性格もひんまがっている。そりゃそうやわな。そんな彼が「ノートルダムのせむし男」や「美女と野獣」のご多分に漏れず、絶世の美女に出会い、恋をする。

彼はいろいろあって性格がひんまがってしまったけど、頭が悪い人間ではないし、美しいものは心から絶賛する。どんなに恋する相手と仲良くなれても、やっぱりそれどまり。彼は彼女に告白することさえもままならない。

私好みの軽く面白い小説だった。上に書いたようなあらすじだと、ただの不細工がただの美人を好きになるラブストーリーかと思われそうだが、そうではない。現代の中途半端な偽善心で無意識に私たちの頭に組み込まれた、「人は外見で判断しちゃだめだよねー」「中身だよねー」という一般「ちょっと待った!」をかける。
かなり最後のほうにさしかかるまでは、主人公の不細工男の性格がひんまがってるのと恋されてる美女の普通の女っぷりというか馬鹿っぷりが、皮肉たっぷりでおもしろくてぐんぐん読んで、最後の最後に「そうやそうや!あんたはアホではなかった!」とその美女に同意しまくり、そして最後の最後の最後は、「やっぱりこういう終わり方しか無理よな。」と納得の幕引き。予想通りの幕引きだとしても、この本に書かれていること、作家が指摘している展がそれまでの構成で明確すぎる上、あまりにも筋に沿ってるので、すとんと受け止められる。

フランス語も簡単で読みやすいし、なかなかいいです、アメリー ノートン。

| 12:56 | フランス | comments(0) | trackbacks(0) |
Georges Simenon 「Les Fantomes du chapelier」
評価:
G. Simenon
Livre de Poche
¥ 1,406
(2009-06)

 こーれーはー、半端無くおもしろかった。忙しい最中に寝る間をけずって読んだ。

今から思い返してみると、何がそこまでおもしろかったんだろうか。
なんだかこんな内容のミステリー(?)は読んだことがある気がする。東野圭吾あたりが書いてそうやなあ、と。

フランスのラ ロシェルという海沿いの地方都市で帽子屋を営んでいる男の話。物語は最初から最後までこの男性の、行動、心理、推測、見たもの、から成り立っていて、彼が知らないことは私たちも知らないし、彼が見ていないことは私たちも見ていない。この本を読み始めてすぐに多分誰でも気づくだろうことに、犯人は彼自身なのだということがある。そんなわけだから、ハラハラドキドキする推理小説というわけではなく、なんともいえない物哀しい犯人の心理、いや、一人の60代の男の寂しさとか迷いとか、少しずつ少しずつ壊れていく人間の物語。そういうのが、東野圭吾が書いてそうやなーと私が思った原因かもしれない。

とにかくおもしろかった。私が好きなタイプの内容なうえに、ああ、見つかってしまう、というハラハラ感と、早く見つかれば良いのに、というハラハラ感が、本の最後のクライマックスに近づくにつれて、ちょうど同じだけ私の中に同居してくる。その内なる盛り上がりが哀しさの高まりと相まってたまらなかった。

やっぱりうまいわ、シムノン。
| 12:55 | フランス | comments(0) | trackbacks(0) |