海外に住む人なら理解してもらえるだろう、手に入る日本語の本はとにかく何でも読んでみる、という経験。自分の好みとは関係なく読み散らした本について書き散らす備忘録的ブログ。パリ在住なのでフランス語の本も多数。
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梁 石日 「闇の子供たち」
 すごく良い小説だと思うし、テレビという大衆向け報道媒体が大して用を成していない日本で、このような小説が出版され映画化された(映画は見ていないので評価できないけど)ということだけ考えただけでも「良い」か「悪い」かで言えば「良い」ことだと思う。
でも星4つにしたのはこの手の小説は、「好き」か「嫌い」かでジャッジしにくいし、評価しにくいものだから、5つにする自分には納得がいかなかったから。
私たちが生きている以上、社会というものに参加せずにいることは不可能で、そんな社会には、それぞれの時代によって「絶対悪」という概念が存在する。その概念は存在していても、それ自体は存在しなくなることが絶対に無い、という矛盾の中で私たちは苦しみながら生きている。そんな絶対悪の一つである子供に対する買春、虐待、売買について書かれた本をどうやって評価できよう。これを手放しで「素晴らしい!」と言ってしまいたくないから。

フランスに住むようになって10年たつが、最初の数年「カルチャーショックが大きいんじゃない?」とフランス人にも日本人にもよく聞かれた。私はいつも「そんなことないけどなあ。」と答えていた。でもその頃もそして今でもその違いを感じるのはテレビや新聞という大衆が目を向けやすい報道メディアの報道の内容だ。そのうちの具体例のひとつとして幼児虐待、売買、買春があった。ここ数年(サルコジが大統領に選ばれてから)テレビのない生活を送っているのでいまはどうなのかわからないが、幼児虐待に関するドキュメンタリー番組をよく目にした。それは私がテレビ番組表をチェックして見ているのではなくただチャンネルをかえているときに見た番組たちなので、私が見ている以上にこのテーマに関する多くの報道が流されているのだろうと思う。

この本を読みながら、それらの番組たちのなかで、まぶたに焼き付いている画像を何度も思い出していた。それはフラッシュバックのように日常の生活のなかでもよく思い出す。
隠しカメラを持ったジャーナリストが「買った」10歳の少女が、二畳ほどの部屋に入った途端、服を脱ぎながら「あなたはどうして脱がないの?」と聞くあどけない笑顔。
ガラス越しに座る様々な年齢の子供たちから、どの子を買うのか選ぶ団体買春旅行で来るアメリカ人。中には一人だけ選んで一週間二人きりでホテルに籠る人もいれば、数人を一度に選んで嬉々としながらその子供たちと手をつなぎながら部屋に入っていく人もいる。
舞台上で踊る16歳くらいの女の子たち10人くらいのなかから、結婚相手を選ぶヨーロッパ人の60歳の男性。彼女たちは選ばれるために必死で美しく着飾り、選ばれると狂喜の声をあげる。ここで選ばれれば一人の男性を相手にしながらヨーロッパで十分な衣食住を与えられ、国に残る家族中が問題なく暮らしていけるのだから当然のことかもしれない。そうでなければ彼女たちは一生、世界中からやってくる様々な性的趣向を持つ客たちを相手に、少ない報酬で必死に生きていかなければならないのだろうから。
また、自分の抑えきれない幼児に対するリビドーと毎日闘いながら、セラピーや薬でなんとかしようと必死に、後悔と自己嫌悪と欲望のなかで生きている人たちもいる。
南アフリカで乳児を強姦した兄弟に関する新聞記事や、恋人が子供の頃性的虐待を家族の一員から受けたので愛し合うセックスさえもできず苦しむ女友達の相談を受けたりもした。

彼らは皆、被害者でも加害者でも顔を隠すこともなかった。彼らの表情を、道を歩いているとき、スーパーで買い物をしているとき、猫をなでているとき、インターネットをしているとき、そんな日常で思い出す。買われる子供も買う大人も売る大人も強姦される子供もする大人も、私であるかもしれないし、夫であるかもしれないし、友人であるかもしれないし、同僚であるかもしれないし、バーで隣に座っている客かもしれない。




| 18:11 | 日本 | comments(0) | trackbacks(0) |
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